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2011年7月27日 (水)

心配症 その2

前に心配症について書いたんだけど、実はそれはある本を読んで、
「心配症」とはどういうことか、どう考えればいいかということに
答えが書いてあって、自分の中に着地したからだった。

今の自分にとって、大切なことがたくさん書かれていたので、久しぶりにノートを取った。
Evernoteに、重要な箇所の引用を打っていっただけだけど。

その本は「健全な肉体に狂気は宿る ― 生きづらさの正体」。
内田樹センセイと、春日武彦さんという精神科医の対談である。

この2年半ほど、ずーーーーっと内田センセイの書いたもの(ブログ、Twitter、書籍など)を読んでいる。
私の中にたまっていた数々の謎や感覚が次々と解き明かされていく快感が、そうさせる。
「腑に落ちる」という言葉があるが、まさにその感覚が波のように、「また来た」「また来た」と延々と続く。

「心配症」に関して、重要な箇所の引用をざっくり紹介したい。

----

悩んでいる人というのは、ほぼ百%が取り越し苦労で苦しんでいる。・・・最悪のシナリオを事細かに想定して、どんどん細部まで描き込んでいく。自分のことをリアリストだと思っている人ほど取り越し苦労しがちですよね。

取り越し苦労した人は、その最悪の事態の到来を願うようになるんです。

「一寸先は闇」って言いますけど、それは逆に言えば、「一寸先はバラ色」かもしれないという不確定性のことでしょう。

未来の不確定性を低く見積もった上で、最悪の事態の到来を無意識に待望するという二点を割り引くと、やっぱり先のコトなんてあんまり考えすぎない方が正解という結論になると思うんです。
---


私は2年前に姉が癌で余命3ヶ月と宣告されて、ちょうど3ヶ月で他界した。
診断されるほんの少し前まで、全く元気そうにしていた。
父方、母方含め、私たちの家系で癌で死んだ人間は、知り得る限り、初めてだった。

それで、私としては、「私も癌で死ぬかもしれない。自覚症状がなくても気がついたときには末期なのかもしれない。」というような心配・不安にしばらく悩まされた。
これは姉の死のショックが大きかったこともあり、ある程度はしょうがないと思う。
一応、対策として、検診は半年から1年のペースで受けるようにしている。

不安の一方で、姉の息子達や自分の息子のためにも、
姉の分まで長生きしてあげたいという、ささやかな希望もある。

結局のところ、未来のことなんて「わからない」と五臓六腑にまでしみわたる程に思い知るしかない。
明日死ぬか生きてるか、五分五分なのだ。
だからこそ、今の瞬間を悔いなく楽しんで生きる。

健康管理や対策も、無視してもあかんし、ほどほどに。
考えすぎたりやり過ぎたりしてバランス感覚を失わない程度に。

希望の方についても、「絶対にそうならなければならない」というような義務的な気持ちにならないように。
いや、明日死ぬかもしれない不確定性も充分分かった上で、今日は虫取りに行った。明日は図書館バスだ、明後日は梅田で仕事・・・と、その積み重ねの先に、すこしずつ成長した子ども達の姿を思い描く。

そんな感慨にたどりついていた私に内田センセイの言葉は響いた。

この言葉も。

---
母親にとって子供は「弱い生物」としてインプットされているんですから。
---

子供のコトに関して心配症になるのは、もう生物学的にどうしようもないんだ。
だけど、そのことを知っていると、そこから自由にもなれる。
「知っている」ということは、すごいなぁ。

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