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2011年11月

2011年11月25日 (金)

「からくり民主主義」

11月も残りあと少しかぁ・・・。冷えるはずだ。

今月も図書館バスで借りてきた中から、書きたいレビューがたまっているのだが、ブックレビューとなるとつい真剣になってしまって、そうそう気楽にホホイのホイッとは書けない。

今回のエントリーは、ここしばらく書きたくてウズウズするほどだった、5つ星(!)のオススメ本についてやっと書こう。

高橋秀実 著 「からくり民主主義」(2002年)


ノンフィクション作家、高橋秀実さんは、メディアには現れない、生身の人間のゴワゴワ、ザラザラした手触りの暮らしと人間の集合体としての「世間」や「みんな」が帯びてくる「体質」の不可思議さに切り込む。そのニュートラルな分析眼と伝える筆の力たるや、希有な才能をお持ちだ。そして、批判的になるとき一段上の位置に上がったりしないのだ。きっと優しい人なのだろう。文章も難しく堅苦しいところがなく理解しやすい。真剣な話題だと思って肩に力が入って読んでいると、なんか脱力しちゃうことが多い。

以前、田口ランディさんのエッセイのレビューを書いた時に、ニュースから流れてくるのはおきまりの定型句だということを書いた。私は、メディアが切り取って「はい、どうぞ」的に見せる「単純お涙ちょうだいストーリー」に飽き飽きしてきた。現実はそんなに単純ではないし、「分かったつもり」になって、「消費」したくない。高橋さんが伝えてくれる世界に「これよ、これ、こういうことやねん、私が知りたかったのは!」と心の中で小躍りした。

かつてニュースを見て疑問に感じたりしていた自分のモヤモヤ感を別の回路につないでもらって晴れた。
メディアによって1分の動画に編集される前の、膨大な途方もない現実を少しでも多く想像する方程式のようなものを教えてもらった。

たとえば・・・こんな想像をしてみる。
もしもあの頃、自分の住んでいる町にオウム真理教のサティアンが出来ていたら、どうだっただろう?
自分の身内が統一教会の信者になると出て行ったらどうするだろう?
自分の住んでいる町に原発が誘致されることになったら自分や周りはどうなるのだろう?
この本を読んだあとなら、リアルに感じられる。

決して四角い画面の中から聞こえてくるだけの遠い世界ではない。
まして、3.11後の世界に現実に日本に生きて、以前よりまして、その感覚を持つ人は多くなっているだろう。

第7章 危険な日常 ---若狭湾原発銀座

とりあえず、ほんの20頁ほどだから、この第7章だけでも読んでいただければ、今の原発の問題に関しても見えてくる側面は多いと思う。

冒頭、ある問題の核心をついている。
「新潟県巻町の住民投票やもんじゅの事故、東海村の使用済み燃料再処理工場の火災・爆発など、”話題”があれば、原発は危険か安全か、必要か不必要かという議論が降ってわくが、平行線をたどり、いつの間にか消える。その繰り返しは様式化し、ふと気がつくと、福井県の若狭湾にはこの十年間に4基も増設され、わずか直線50キロメートルの海岸沿いに15基もの原子炉が並んでいた。」(171頁)

繰り返しすぎて麻痺していく感覚。
だれも死んでないから安全、とか、現実にこれだけ原発があっても毎日何も起こってない、という「事実」を元に推進派は説得をはかる。

じゃあ、一旦、既成事実を作られてしまうと反対しにくい、ってことだなぁ。
ということは、もう絶対に反対!っていうことがあったら、既成事実を作らせないように徹底的に事前に防御策を打った方がいい、ってわけかぁ・・・。ふむふむ。だけど庶民は生活で忙しいしねぇ。

あと、すごい生々しかったのが、大飯町大島というところに、原発誘致が成立してしまった理由の1つが、橋がなかったことと、土葬の習慣があったという話。
火葬にしようとしても大島には火葬場がない、定期船に遺体は乗船禁止。「道路と橋がほしいなら原発を作れば早い」ともちかけられたそうだ。

あまり書くとネタバレになりすぎるので自制するが、紹介したい記述だらけである。
仕方ないので、目次を載せておく。

序章   国民の声 ---クレームの愉しみ

第1章  親切部隊 ---小さな親切運動

第2章  自分で考える人々 ---統一教会とマインドコントロール

第3章  忘れがたきふるさと ---世界遺産観光

第4章  みんなのエコロジー --諫早湾干拓問題

第5章  ガリバーの王国 ---上九一色村オウム反対運動

第6章  反対の賛成なのだ ---沖縄米軍基地問題

第7章  危険な日常 ---若狭湾原発銀座

第8章  アホの効用 ---横山ノック知事セクハラ事件

第9章  ぶら下がり天国 ---富士山青木ヶ原樹海探訪

第10章 平等なゲーム ---車椅子バスケットボール

終章   からくり民主主義 ---あとがきに代えて

章のタイトルも秀逸だ。「反対の賛成なのだ」というバカボンのパパの台詞。
テレビのニュースも、こういう、現場で起こりがちな私達人間の習性を理解した上で1つの「ショー」として見ればいいのかもなぁ。

ちなみに、高橋さんの著作との出逢いは相撲賭博疑惑問題が話題になっていた頃、茂木健一郎さんが高橋さんの著作である「おすもうさん」という本を読むといいよ、とTwitterでつぶやいていたところからだ。私は、さっそく「おすもうさん」を読んで、炸裂する高橋秀実節の魅力に惚れた。次に「痩せれば美人」を読んで膝を打ちまくった。今回のこれが3冊目で、ここに「私はファンです」宣言したい。
次に読む予定は、今年、小林秀雄章を受賞された「ご先祖様はどちら様」で、図書館で予約待ち中である。

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2011年11月22日 (火)

プロヴァンスの贈りもの

リドリー・スコット
角川エンタテインメント
発売日:2008-01-11

誰もが、遠いけれど一度は訪れてみたい憧れの地を、心の中に持っているのだろうか。

久しぶりに映画を見た。
近所のツタヤで週末100円セールをやっていて、息子のためにアニメを借りてあげようと、連れて行ったついでに、1本だけ自分のために借りた。
自分のためのDVDをそっこーで選び終わった息子をあんまり待たせるとワチャワチャと駆け回りだすので、「3分以内に決めるぞ」と、ドラマ系の旧作の棚をざっと眺めていたら、このタイトルが目に飛び込んできた。
今、思えば、この出逢いは私への「贈りもの」だった。

DVDケースを手にとって、解説文を読んでこれを借りようと即決した。リドリー・スコット監督、ラッセル・クロウ主演の「プロヴァンスの贈りもの」。

プロヴァンス。
南フランスの田舎で、いつの頃からなのだろう、私の憧れの地である。
好きなインテリアも、気がつくと「プロヴァンス風」だと自覚が出たのもこの2年ほどだ。
だから、3分という短い選択時間内で、この「プロヴァンスの贈りもの」を見つけて思ったことは、「とにかくプロヴァンスの風景やインテリアを見られたらそれで満足しよう」ということだった。

ところが、映像もストーリーも期待以上どころか、惹き付けられて惚れ込んでしまった。うぅぅ~ん、めっちゃええやんかぁ~。
この出逢いは何だろう。
私は南フランスに「呼ばれて」いるのか?
シャガールやゴッホやセザンヌが描いた風景を見たいからだろうか・・・?

主人公は、ラッセル・クロウ演じるマックス。冷酷かつ有能なトレーダーだ。子供の頃に夏を過ごさせてくれたシャトーのオーナーである叔父のヘンリーが他界したと連絡が入り、遺産を相続して売却するために10年以上ぶりにプロバンスのシャトーを訪れる。久しぶりに足を踏み入れるシャトー。変わらない風景。ヘンリーおじさんはいないけれど、蘇る美しい想い出の数々。そして、自分の中に息づいている、叔父から教わった、たくさんの生きる術(すべ)と哲学と忘れていた人生の楽しみを再発見する。

私の心に響いたのは、死んだおじさんの暮らしと生き様を、遺された家の中を歩き、遺品に触れ、記憶をたどりながら感じ取り、自分がどれだけ、この家でおじさんと過ごしたプロヴァンスの日々から豊かなものを学び取っていたのかという気づきがとても丁寧に描かれていた点だ。
「映画を見て泣いた」ということを映画の価値みたいに安易に書くのはいやなので避けたいが、事実として私は泣きに泣いた。なぜなら、私は2年前に仲の良かった姉を癌で亡くし、この2年間というもの、姉の思い出、姉の姿をそこかしらに探し、求め、想いを馳せて泣いて泣いて過ごしてきたからだ。ある風景の中にいるはずの人がおらず、その風景を見ている自分の脳の中ではその人の姿が自然と浮かび、声が聞こえる。そういう現象をこの映画はとても正確に描写できている。そして、故人がなにを遺したかったのだろう、遺品をどのようにしてほしいのだろう、生きている私が代わりにできることは何なのだろう、と本人に訊ねることが叶わぬ問いのヒントを風景の中に探し続ける。
そうしながら、故人が言っていた言葉や暮らしぶりから自分が受け取れるメッセージがたくさんあることに気づく。死んでも心の中に生き続けている、と使い古された言葉かもしれないが、実感として正しい。マックスが受け取った贈りものは畑や家だけではない。
私も姉と対話し続けている。私は問い続ける。時々ふと答えのようなものが見つかった気がする。また、たどりついた小さな発見や日々の喜びを心の中で姉に報告する。そうして年を重ねて生きていくのだろう。年を重ねていったであろう姉の姿を想像しつつ。

いつか私はきっと南フランス、プロヴァンスを旅する。その時には姉の魂も一緒に連れて行く。

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2011年11月17日 (木)

リアルインドカレーMahek

外食する時に店を選ぶ基準ってその人なりにいろいろあるんだろうな。
でもかなり高い確率で「家で料理しないもの」ってあると思う。
もしくは「家で料理すると手間がかかる」とか「家で料理するより絶対おいしい」とか。

うちの場合は今は子供が4歳なので、子供と一緒に行ける外食となると、まず条件として、子供が少々うるさくても気を遣わないようなファミリータイプの店に限定される。
そうなると、子供いなくて外食行くことになったら、すごく落ち着いた店とか、子供が食べないようなものを選ぶ。

そんなわけで以前から目にしていた割と近所にあるインド料理の店に行ってみた。
阪急曽根駅の東方面にある、Mahek(マヘック)というレストラン。(注!リンク先のHPは音が出ます。)
多分駅から徒歩10分圏内。うちからは西へ向かって車で約5分。

ビビッドな黄色にペイントされた入り口ドアにカタカナで「リアルインドカレー」とくっきり書いてある。
なんかいいな、このセンス。
色も気に入った。
店内に入ってみると中は外観とうってかわって、意外とシックというかオーソドックスな造り。
窓際のテーブルを残してあとは満席。期待値がここでぐっと上がる。

基本のランチセットはAセット650円、Bセット750円、Cセット850円、ドリンク込みのお値段!
なんとリーズナブルな・・・・。
カレーは、種類と辛さ(4段階)を選択するシステム。
私は辛すぎる物は口が腫れる可能性もあるし、そんなに辛い物フリークじゃない。
シーフードカレーのMild「甘口」を注文した。
日本語だと「甘口」って書いてるから、子供向け程度の辛さじゃないかと思うかもしれないけど、
ちゃんと英語でMildって書いてるのが私の目にはしっかり入ってるからね。
経験上、インド料理で「マイルド」ってことは普通にそこそこは辛いってことだろうと判断。
わざわざ「リアルインドカレー」って書いてたし。

Mahek_curry

実は・・・正直なところ、味に関して、それほど期待してたわけじゃない。
インドカレーって普通においしいもん。
と・こ・ろ・が・・・口に入れた瞬間、「うまっ!」と声が出た。
それに具がエビとかあさりとかちゃんとゴロリと存在感を示している。
この具が口にはいるとさらに「うーまーーーい!」
なんというか癖になりそうな、思い出したらまた食べに行きたくなるだろうなと分かる味。
辛さの方はほどよくスパイスの効いた私にぴったりレベル。
量が、一般的なインド料理の店より多いんじゃないかな。
器がご飯の中盛りくらいの使ってるもん。
ナンは、でかくて、もちろん、モチモチでめっちゃおいしかったぁ~。
ご飯もちょっとついてるし。
お腹をしっかり満たしてくれた。

最近の外食の中ではかなりのヒット。
どおりで店は満席だったわけだ。
興味のある方はぜひともHPリンクをチェックしていただきたい。

それと、私は外食するときは店内のインテリアとかも結構じーっと観察するのだけど、こちらのMahekさんはエントランス付近の黄色のペイントとオレンジのオーガンジーのカーテンが気に入って隅々まで眺めてしまった。
カーテンレールをつけないというこのセンス、勉強になる。
ビビッドな色づかいも全然嫌みじゃない。
素敵~。(こういうところもHPでしっかり見られる。動画まで入ってる。)

しかし、運良く窓際に座れたのラッキーだったなぁ。
また行こっと。

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2011年11月11日 (金)

ウッドデッキ、意外な使い方

我が家は2009年に購入した建て売り住宅。
小さいながらも人生で初めて「庭」というものを所有することになった。
一戸建てに住むのも初めてなら、賃貸じゃないのも初めて。
ガーデニングやらエクステリアやらいろいろな本を読んで、いや、眺めて、
庭造りへの思いを描いていった入居1年目。

しかし、ダンナと話し合う度にことごとく意見の相違、言葉足らず、説明不足、
など普段からの問題が露出することに・・・。
庭をつくっていきたいけれど、話がまとまらないストレスがたまる、というプロセスが続いた。

どうせ家にいるのが長いのは私の方だし、私に任せてくれたらいいのに、と何度思ったことか。
まあ、でも、ダンナも家族のためにと購入を決意したマイホームという想いもあるだろう、
あれこれと庭に関してもアイデアや意見が尽きなかった。

そんな2人が、たまたま見に行ったモデルガーデンで一番気に入ったモデルが同じだった。
ジャンク&ナチュラルテイストだった。
そこから、なんとかお互いの共通する庭が「見え」はじめた。

この写真のウッドデッキ。
ダンナがウッドデッキに賛成するまでも長い時間がかかったのだが、
ちゃんとしたものをぴったり合う寸法でオーダーすると結構なコストがかかるので
ネットで安いものを購入することに合意するのは割と早かった。(商品リンクこちら)

「大物を一度設置してしまうと変えたくなった時に手間がかかる」というのが
常に問題として挙がった。
だから、3つのデッキを組み合わせていろんな配置が可能、という商品を選んだ。
2つ並べた寸法は駐車スペースとリビングからの掃き出し窓のところにぴったり合う。
まず、青のペンキを塗って、最初はリビング前に3つ、L字型に置いていた。
しかし、今ひとつ使いにくいし、車の後ろが狭すぎる、とダンナが言い出した。
それで、写真のように1つだけ玄関前、かっこよく言うとファサードに移動したわけだ。

ウッドデッキ

最初、ダンナがこの提案をした時、正直なところ私は仰天した。
ファサードにウッドデッキを??
強く反対を表明すると喧嘩になりかねないので、
ファサードが狭くなるんじゃないかという懸念は表明しつつ、
最終的には「まずはやってみて使用感を確かめよう」という結論に落ち着いた。

すると、なんと結構いけることが判明したのだ。
ファサードの通路スペースはちゃんと1人通れる幅を残しているので、狭いとか通りにくいという感覚はなかった。
そして次々と判明する使い勝手の良さ。
庭仕事の途中でちょっと腰掛けられる。
子供たちが家の前で遊んでいる時にママ友とちょっと腰掛けておしゃべりできる。
息子のお友達の妹や弟が小さい場合、ママが抱っこして腰掛けられる。
近所の子供達が遊びに誘いに来て、そのままデッキで待ったり遊んだりできる。
今はデッキの奥側にダンナの趣味でメダカと金魚の入った鉢を置いていて、子供も大人も魚達を覗き込んで挨拶する。
けっこう癒される。

思えば、以前ネットで見て「いいな」と思っていた、アメリカ式の玄関外がそのままデッキになっているスタイルに近い。
よくブランコやおばあちゃんの椅子が置いてあるあれ。
映画「グラン・トリノ」では、クリント・イーストウッドがあの玄関デッキに置いた椅子に腰掛けて自分が手入れした庭の芝をビールを飲みながら愛しげに眺めるというシーンが印象的だった。(そのシーンの写真こちら
いい映画だったなぁ。(私の感想エントリーこちら)

本を読むことは色んなコトの入り口に基礎的な知識を与えてくれるけど、
そこからどこへ向かっていきたいのか、発想を自由にすることは大事だ。
そして、考えるよりもやってみることも。
そして、何よりもコミュニケーションを閉じないこと。

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2011年11月 7日 (月)

街場のマンガ論

今月の図書バスで受け取った予約してた本の中で、そっこー読んでしまった待ちかねた本。
内田樹センセイの「街場のマンガ論」。

内田 樹
小学館
発売日:2010-10-04

ブログなどに書かれたマンガに関するエッセイなどをまとめた本でちょうど1年前(2010年10月)の出版。全七章の最終章を養老孟司氏との対談で締めくくるという贅沢な構成。

私は内田センセイのブログ愛読者であるので、ほとんどの内容が既に読んだものであるはずだけれど、やっぱりひとつのテーマをまとまった量で一気に読むと、疾走感と高揚感がより高いレベルで味わえる。編集の妙である。

内田センセイの著作を読む喜びの1つには、難しくて出会えそうにもなかった知性の世界を垣間見ることができる点がある。しかしながら、今回はマンガの話。いつもよりも気持ちが数段ほど前のめりになって、センセイのお話を伺っているだけじゃなく、私も一緒にしゃべりだしたい気持ちに駆られた。だって、自分の知ってるマンガいっぱい出てくるんだもん。

内田センセイは少女マンガも読まれる「少女マンガリテラシー」を持ってはる。論考に登場する作品タイトルをざっと挙げただけでも、「日出処の天子」「風と木の詩」「パタリロ」「ガラスの仮面」「エースをねらえ!」「動物のお医者さん」などなど・・・。椅子から腰が浮いてしまう。そして内田センセイはこうまで言うてはる。

(68頁)「私は人生の重要な知恵の大半を『エースをねらえ!』から学んだわけであるが、その他にも、山岸涼子、大島弓子、吉田秋生、川原泉、桑田乃梨子などから人生について多くを学ばせていただいた。」

最近、日本のマンガ作品は世界中で読まれていて、原文で読みたいと日本語を勉強しようとする若者も増えているので、私は日本語教師として、マンガファンとして嬉しい限りなのだが、その流れの中で少女マンガに対する正当な評価というのがまだ追いついてないのかなという気がする。でも、内田センセイがこれだけ言うてくれてはるからなんか安心した感じがする。

けれども、私たちの身近なマンガという素材を扱っていても、その分析は深い。たとえば、少女マンガ3大論考。少女マンガリテラシーがないと少女マンガは読めないという点と、少女マンガにおける発話水準は少年マンガの2種にもう1種加えて3種類存在するという点、そして、「少女マンガとは何か」という問いへの答え、こちらは是非実際に読んでいただきたい。少しだけ触れる。

(87頁)「少女にとって三度目の成長の契機は『生物学的宿命という檻』『おのれに根づいた遺伝的狂気』とどう対峙するか、なのである。」

コレ読んで「わかる」人は、頭にガーンと来たではないだろうか。私は強烈に来た。

少女マンガのことばかり書いてしまったが本書は井上雄彦論、宮崎駿論、などなど興味深い話が満載である。

マンガ嫌いな人っているのかな?
多くの人に読んでいただきたい本として太鼓判ドーン!と押したデス。


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2011年11月 2日 (水)

CIRQUE DU SOLEIL

performing art。
日本語で言えば、舞台芸術、もしくは芸能。
演劇だけでなくダンスやマイムなども含まれる。

performing art、一体なぜにこんなにも私の心を揺さぶるのか。
記憶の中で最もさかのぼれるのは小学校3年生か4年生の時、学校に来たミュージカル劇団。
ストーリーとか詳しいことは思い出せないけれど、とにかく興奮が冷めなくて、親友のナオちゃんと、体育館の外だったか劇団員の皆さんの「出待ち」をした。でも、握手やサインを求めるとか、しなかったと思う。ただ出てきて帰って行く劇団員の皆さんを少し距離を置いて見つめながら、自分たちの帰り道と同じところまで後ろからさりげなくついていった。分かれ道で名残惜しくいつまでも見送った。

20代になって、バイトや会社の給料が入り多少は趣味に費やせるようになってからは趣味と言えば間違いなく「観劇」という状態になった。2ヶ月に1回は芝居やらを見ていた。

最近は仕事と育児に追われ、なかなか好きな舞台に足を運ぶのは難しい。

そんな中、ダンナがクーポンでシルクドソレイユの大阪公演KOOZAのチケットが格安で手に入ると言う。4歳の息子を連れて行きたいんだそうで。おおお!のぞむところだ!
2歳の時と3歳の時にダンナが「リオと一緒に観て来たら」とチケットを買ってくれたディズニーオンアイスはなかなかのエンターテイメントで楽しめたけど、まあ子供向けだし、リオは最後には寝ちゃってたし、抱っこして人混みの中を移動するのつらかったんだ。
もう4歳だし、今回は大丈夫かも、と思いつつ、「私とリオだけで行くと大変やから3人で行こう」と提案。
ちなみに大阪公演は11/6日曜日まで。その後、名古屋、来年には福岡だそうだ。

シルクドソレイユと言えば、亡き姉が息子(私の甥っ子)が1歳すぎの時にダンナと2人で観に行って、その間私が甥っ子を初めて預かったことを思い出す。
甥っ子を迎えに来た姉が「すごい良かったよー!」と感動を伝えてくれた。

それで、今回のKOOZA公演、オープニングから私は涙が止まらなかった。
いろんな思いが交錯して。
いろんなことがあったけど、家族3人で私が大好きな舞台芸術を一緒に見れるという事実がありがたく、とても貴重に思えるのと同じ重さで、数年前に同じようにシルクドソレイユを見て興奮していたであろう姉の気持ちをとても近くに感じた。
そして、やっぱりどうしたって一瞬は感じてしまう罪悪感。
姉ももっと生きて息子達と一緒に好きな物を見に行きたかっただろう。
でも、こうして思い出す度に姉とつながる気がしているし、姉の思いは私が継いでいくという決意も新たになる。

実際、舞台が始まると次々と繰り出されるパフォーマンスに観客一体となって引き込まれ、興奮の渦に巻き込まれた。
ネタバレになるので、あまり詳しくは描写しないでおくが、たとえば、サーカス定番の綱渡り。かなり細いワイヤーを上下2本張って、それぞれに2人ずつ乗って同時に4人歩き始めてそれだけで「わぁ~すげぇ~」と思うんだけど、そこからこちらの想像のレベルを1段階超え、ワオと思ったらさらにもう1段階レベルを超えたパフォーマンスが次々と飛び出してくるのだ。
ワイヤーの上で1人がかがんで別の1人がジャンプしてそのかがんだ人を飛び越える。
でもって、ゆらゆらとかほとんどしないのだ。ひらりん。ぱっ。
「嘘~?!」って思わず声が漏れてしまう。

次は自転車が2台登場。
1台に1人ずつ乗って、2人の肩と肩をつないで固定するバーを乗せる。
この状態で2人ともぴくりとも動かない。これ、地面の上でも難しいはず。
そしたら、その2人をつなぐバーの上に、もう1人が・・・。
あ~、ここからは自分で体験してください。
本家の公式サイトにたくさん映像あります。でもナマで観る感動はまたレベルが違います。

「そんなこと不可能なんじゃないの?」という脳に、目の前の現実があっさりとNOを突きつける。
アドレナリンとかいうのが脳で出てるのだろうか、マンガで言うと頭の上に火山がドッカーンて噴火してる絵のような「うっそ~!!!?」状態である。
映像じゃないんだからCGとかないんだよぉ~。

インターミッション(休憩)をはさんでパフォーマンス自体は2時間ほど、こんな「えええ~?」「うっそ~!」の連続である。最後にスタンディングオベーションがなかったことに私は不思議な感じがした。あれぇ?立たないの?と思ったら、隣の席の息子が座席の上に立って拍手していた。

パフォーマンスのことばかり書いてしまったけれど、音楽はぜいたくにも生バンドでオリジナルの音楽もめちゃめちゃかっこよかった。セットも衣装もメイクも作り上げている世界観にぴったりでゴージャス。
最初に少年が凧がなかなか揚げられないでいると、いつの間にか不思議な世界に邂逅して・・・というストーリー・演出も幻想的で素晴らしかった。
そう、私は小学生の時、初めて劇団公演を見て興奮していたあの頃に引き戻されていた。その少年に自分を投影していた。

そして、年齢を重ねても、ちゃんとファンタジーの世界に没入出来るし、あり得ない光景に思わず声を上げるほど新鮮な驚きを感じられる。人間は素晴らしいと心から感じられる。
普段、論理と理性を信条としている私は特に、舞台芸術が時に教えてくれる胸が熱くなり頭が沸騰する情熱に触れたほうがいいのかもしれない。

ちなみに、帰宅して落ち着いてからも息子は「サーカス団に入る」宣言の上、そのために出来る限りのアクロバティックな動きをしたり筋肉トレをしたり、決めのポーズの表情を作ったりしている。「リオがサーカスに出るようになったら、ママは見に行くね」と言ってあげたら、その返事が「うん、でも、夜は帰ってくるで」だって!(*^-^)

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