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地震

2011年10月 3日 (月)

衣替え→支援

来ましたね、この季節。
私にとっては、急な冷えに対するアレルギー反応で
くしゃみ・鼻水が止まらない症状に悩まされるこの時期。
(昨日は仕方なく薬を飲んだら強烈な眠気で、
車の運転も子どもの相手もままならずツラかった・・・。(-_-))

そういうわけで、真剣・衣替え&冬支度。
毛布も出した。
秋冬服も出した。
息子の幼稚園の秋冬制服のジャケットと制帽もスタンバイ。

先々週くらいに息子が自分のおもちゃの「要る・要らない」の仕分けを徹底的にしてくれたので、
私自身も断捨離へ背中を押された気がする。
「潔いなぁー。」と感心。
終わったあと、空間が広々して「気持ちいい~」という快感を実感。

夏服をしまうにあたって、シーズン中に着なかったものや、「ときめき」を感じないものは処分、と即、決められた。
ユニクロの服はユニクロ店舗へ持って行ってリサイクル品として引き取っていただく。
これは本当に有り難い、素晴らしいシステムだ。
だって、まだ汚れてもないし、全然問題なく着られる服もあるから、
どうにかして役立ててもらえるなら、「捨てる」罪悪感なく手放せる。
でも、もう安易にあんな明るい色は買わないぞ!という決意も新たにしなくては。
そろそろ過食も落ち着いて服のサイズも戻るかも、という淡い期待も空しく、
太る前に買った服も意を決して手放そう。
ユニクロさんならリサイクルで引き取ってくれるからねぇ。

ユニクロ以外の服をどうするか。
そこで登場、リ・ファッションさん。
東日本大震災の被災者支援として服だけじゃなく生活用品も受け入れているとのことです。
送料は負担になりますが、以下のようなモノの処分予定がおありの方は検討してみてはいかがでしょうか。

以下、サイトより転載。
---
・衣料品
  秋用衣類(未使用品、中古の場合は清潔な美品。大人用、子供用、
  幼児・乳児用、対象は問いません。)
  ※ニーズが高いもの : 薄手の長袖シャツ
  ※夏用衣類でも、インナーなど秋口まで対応できるものは可。
  ※冬服、防寒着の受付を開始しました。
・生活用品
  電気毛布(ご年配のニーズ高)、電気カーペット、こたつ、暖房器具
  女性用長靴(未使用品)、調理器具(鍋・フライパン等)
  ※毛布(新品のみ)は10月1日より受付再開予定です。
  それまではご自宅で保管をお願いします。
・食品
  レトルト食品、調味料。
  ※食品は賞味期限が半年以上先のものとさせていただきます。
・消耗品
  ニーズが高いもの : おむつ、おしりふき、生理用品など。
              歯磨き粉、石鹸、洗濯洗剤、台所用洗剤、住宅用洗剤など
              様々な洗剤。

・・・・・
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2011年5月24日 (火)

トレードオフ Trade-off

先週は何だかバタバタしていてブログエントリーを書いてなかった。
姉の3回忌、新しいレッスンの開始(仕事)、息子の幼稚園の遠足でお弁当作り、病院、幼稚園の懇談、息子の早い帰宅、などなど・・・。
この間、相変わらず、夜なかなか寝付けなくて、1時とか2時になっているのに、午後に昼寝をすることもなくなってきて、心身ともに回復期にあることを実感する。
でも、さすがに睡眠不足が蓄積して、昨日の朝は少し寝坊してしまった。ケータイの目覚ましをなぜかオフにしたまま戻し忘れていた。「うあ!寝坊した!」と声を出したら、息子もムクっと起き出して、「目覚まし鳴らへんかったやん」と言う。いや、君用のは一回鳴ったんやけどね、スヌーズを切っちゃってゴメンね。とにかく息子に平謝り。
「ごめんね、ごめんね-。急いで朝ご飯食べよう~」と頑張って急いでみたら、意外にも幼稚園バスに間に合った。よかった。ふう。

ちなみに昨夜も2時過ぎまで眠れなかった。まあ起きた時間が8時で6時間ほどは寝たわけだから、ぎりぎり何とか活動はできるかな。中途覚醒があまりなかったから助かった。
一昨日の夜は4時に目が覚めたときに蚊が耳元でブィーンと飛びはじめて、その不快感にばっちり覚醒してしまった。押入を開けて液体べープを探したけど見つからない。玄関に置いていた外出用の蚊よけ器を取り出しオンにして、「子供が泣き止むCD」を音消しのBGMにして何とか寝た。私は聴覚がけっこう敏感で耳がいいと言うか、寝がけとか眠りの浅い時には感覚がより過敏になるので、注意が必要なのだ。
昨日は部屋の隅にスプレーすると蚊がいなくなるというスプレーを買ってきた。ありがたいことに昨夜は蚊はいなくなってたようだ。
こんな風に問題に1つ1つ対処すること、対処できたことが積み重なって
生活の「安定感」とでも言うものが生まれる。
生活の99%はメンテナンスだ、という文章をどこかで読んだことがある。(90%だったかもしれない)

寝坊したけど、アラーム設定を確認して、今朝はちゃんと起きれた。
雨もあがった。
そんな小さいことが生活の中では実は大切だ。

震災で被災された人達、避難している人達が生活の基盤を失ってしまったことについて思いが飛ぶ。
その喪失感を想像してコトバを失う。
かつて自分が母を失い、家・住み慣れた土地、友人達から離れなきゃいけなかったことが
何度も思い起こされる。
家が残っている人は少しでも早く自宅に戻りたいと願うのはごく自然なことだろう。

一方で、これを契機に人生が思いもしなかった方向へ動き始めた人もいるのではないかと想像する。
いろんな価値観や、当たり前に思っていた基盤がいくつもひっくりかえったのだ。
耐性の強い人、変化をより求める人、若い人、などは、フレキシブルに考え、動ける可能性がある。

物事には表があれば裏がある。
美輪明宏さんが言う「正負の法則」だ。
茂木健一郎さんのTweetで言えば「トレードオフ」。

私は、グリーフワーク的に言うと、再生期に入ったのだろう。
この春を迎えて、気力も体力も、一昨年とは比べものにならないくらい向上してきている。
もちろん良いことである反面、引き受けるべきこともいよいよ引き受けなければいけないと思う。
「今は無理」と横に置いていたことを大切なことから、見つめなくてはいけない時期が来た。
もちろん過剰に無理をしないよう節度を保ちながら。

今日はとりとめなく書いてしまったけど、時にはこんな文章もいいかなぁ。
書くことを思考の整理と癒しとして求める気持ちはまだなくなっていない。

2011年5月12日 (木)

名越康文さんのオープン講義

4月にTwitterを通して、精神科医の名越康文さんが京都の精華大学で教える講義があり、一般人の参加も認める、オープン講義だと知った。
早速、うちから精華大学までのルートと所要時間を調べてみると、月末の火曜と水曜の2日あるうちの水曜なら行けそうだと分かった。
予定がない休日だし、息子が幼稚園から戻る時間に少しだけ遅れるけど、その日はダンナが夜勤明けで家にいる日で、訊いてみたら「行ってもいいよ」とのこと。
この条件が整って、行かない手はない。
もともと大学の講義とか基本的に好きなタチなのだ、私は。
もちろん、あのいつもテレビで見ている名越先生のお話を直接聞けるなんて、こんなチャンスはなかなか無い!

そして、その当日から2週間経つんだけど、まだ感想を書く、ということがうまく出来ない。
それだけ、私にとって重く深い内容だった。
著書「瞬間の心理学」を読みつつ復習したりして、ここ数日で、やっと気持ち的に内容が着地し始めた気がする。

先生の印象について書こう。
もちろんテレビで拝見している、あの通りの軽妙な語り口、関西弁イントネーションの親しみやすさ、気取らないたたずまい、であった。
でも、大学の講義室という場で、教える教師と教えを請う生徒というフレームワークの中だったからだろうか、テレビであれだけ人気を博している方の「オーラ」とか「カリスマ性」のような雰囲気を私は感じなかった。良い意味で。意識的にご本人が消してはるような気もする。カウンセラーというお仕事柄もあるのかもしれない。

講義の内容の核は、人間の陥りがちな妄想と怒りについて。
そのせいか、ご自分で「ダーク名越が出てる」と仰ったように、若干強い口調で、いかに私たちが妄想や怒りに囚われてしまいがちかを熱く語ってくれた。そして、自分で毎日少しずつ、ネガティブな気分に陥らないようにできることがいろいろあるんだと、改めて先生の言葉で聞いて、それが勇気になったと思う。

途中、スタートレックのたとえ話が面白かったのだけど、私はスタートレックをちゃんと見たことがなかったので、後で楽天レンタルで「宇宙大戦争」を借りて見てみたら、実に面白かった!示唆に富んでいる。(収録全編を見る時間を取れなかったのは残念だった。)

講義の参加者は、私のような社会人が多いかったみたい。
行く前は、私は数百人収容の大講義室が満員になるくらいの状態を想像して教室に行ったのだけど、意外にも30人くらいだった。
精華大学の学生諸君はなんともったいないことをしているのだろうか、と私は1人眉をひそめていた。こんな貴重な機会なのにぃ~って。

ちなみに私は教室についてから先生が到着するまでに念のためTwitterをチェックしたところ、名越先生ご本人から教室が変更になったというTweetが入り、慌てて、その教室にいた人達と移動した。
なんというか、Twitterって本当に便利やわぁ。

先生も言ってはったけど、3.11の地震・津波・原発問題で、私たちの心はいろんな影響を受けている。でも、すべては無常。変わり行くのがこの世の常。
そう、そうなのだ。

このちじょうはかがくのおしえるほしではない
しすべきものたちのおどるつかのまのあれちなのだ

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2011年4月19日 (火)

春はいろいろ

この週末は、リオが「ぜひ」というので、近所の桜の名所に花見をしに行った。
風に小さく白い花びらがハラハラと舞い散り、ピンク色の小道が素敵だった。
リオがうっかり落としたチキンに鳩がやって来てついばみ始め、リオは鳩のえさやりにはまってしまっていた。食べ終わってからは鳩のうしろをついて歩いて、鳩が早足で逃げるのをおもしろがっていた。
歩く時はそんなにころっとこけなくなってきているので、数メートル離れていっても私も自分のペースで食べ続け、かわいい息子の後ろ姿に見とれていた。

幼稚園の新年度は思ったよりは無事にスタートした様子だけれど、帰宅したあとに
「今日、幼稚園で何してたん?」と聞くと「わかんなーい」ばかり。
新しい組になってまだ落ち着かないのかも。
春休み中に、おしっこがぎりぎりになってパンツを濡らすことがなくなったのに、ここ数日また幼稚園でやってしまっているようだし、おねしょも復活。
月曜日には「幼稚園行きたくないな」と言う。
でも、話せば納得していくようになったので、去年と比べたら格段の成長だ。

昨日は幼稚園でトマトの種を植えたんだって。
自分からママに言ってきたから、それはよっぽど嬉しかったんだねぇ、きっと。

そう言えば、この4月からリオが乗る幼稚園のバスポイントに新しい子が3人増えた。
そのママにリオが去年の4月は、幼稚園に泣いて行きたがらない日があったとか、
塗り絵してて少しでもはみだしたら泣きわめいてた、とか、そういう話をしてたら、
自分で「あ、いつの間にか1つ上のステージに上がってたんやなぁ」と気づいた。

私自身、気温と日差しの温かさで、体調がずいぶん上がり調子で、今まで体調不良で「できてなかったことたち」(古い子供服の処分とか)をやったり、庭の花を挿し木したりしていた。

でも偶然テレビで言ってたのを聞いたんだけど、春は要注意。
あー、そうやったなぁ、と改めて思う。
私としては、いろいろな変化を吸収しなきゃいけないし、自分の体調がよくなると、できてないことへの不全感みたいなのがあがってくるから、「できたらもうけもん」って感覚をちゃんとつかんでおかなくちゃ。

加えて今年は大震災の影響も有り。
この1ヶ月あまり、気持ちが落ち着かないまま来た。
もちろん浮ついた感は徐々に下がってきてはいるけど。
ただ、これは人間の危機に対する本能の警鐘として、自分の中に引き受けようと思う。
眠っていた感覚が「覚醒した」のだ、という解釈は確かにあてはまる気がする。

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2011年4月 6日 (水)

共感疲労 compassion fatigue

先週から引き続き、夜、寝付きは悪く、中途覚醒もあり、鮮明な夢も見ている。死んだおじいちゃんとおばあちゃんが出演したり。夢の話ばっかり書いても飽きるので、ちょっと違う話。

ネットで出会った言葉。「共感疲労

精神科医の香山リカさんが紹介していた。
今回の震災のケースであれば、被災した人、亡くなった人達の事を考え、つらくなったり涙したり、それ自体は自然なことだと私は思うけど、問題が長期化していることもあり、被災の報道を見過ぎてPTSDになるように、共感が度を超して疲弊状態になってしまうとのこと。
これはまさに私が普段から陥りがちな状態じゃなかろうか。
だから、今回は被害・問題の規模が桁違いだとわかり始めた頃から、テレビの報道をあまり見過ぎないように、感情移入が起きすぎないように意識して気をつけていた。

もう1つ言うならば、私自身は気になったことの映像や音の記憶が鮮明に蘇りすぎるのではないかという疑いを持っている。
ウチの息子も寝がけにこわい夢を見て眠れないことがあると以前のエントリーに書いたけど、今回、私はなるべくショッキングな映像などを見過ぎないよう制限はしたが、それでも、不安な気持ち、落ち着かない気持ち、死者に寄せる思い、などはやっぱり夢に形を変えて登場しているという気がする。

痛みや感情や記憶のあり方は、自分にしか分からない。
私とあなたと隣の誰かさんと同じか、はたまたどのように違うのか比較することができない。(言葉を尽くして表現しても表現方法に違いもあるし)

私は私という「マシン」しか操縦したことがない。
私のマシンが「痛い」状態と、隣の誰かさんのマシンが「痛い」状態の、その「痛み」の違いはたぶん意外と、思ってる以上に大きいんじゃないかと思って、自分のマシンのことを知ろうとしている最近の私である。
「共感疲労」と言った「新しいコンセプトの登場」=「名づけ(Labeling)」は有効だと思う。
あ、これもしかして自分にあてはまるかもしれない、と思ったら、少し注意して自分の様子を「観察」してみる。困ってたことがより明確に浮かび上がって来たら、それに応じて対応を工夫したりする。

天才、松本人志がよく言う。
「自分が思ってる以上に○○やからね!」
そういうことは往々にしてあるのだろう。
自分の感覚をちょっとだけ疑う意識をもっておくことだ。

それにしても、原発に対する私の不安の全てが共感疲労ではない。
自分に直接ふりかかる潜在的な脅威として迫ってきている。
目に見えないこの脅威をどう考えるか。
私は、Twitterで紹介されてて知った、武田邦彦さんのブログが参考になると思って読み始めている。
考えすぎてもダメかもしれないけど、考えないのはやっぱりダメだと思う。
心配しすぎても良くないかもしれないけど、問題から目を背けっぱなしは危ないと思う。

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2011年3月22日 (火)

地震から10日、思うことのまとめ

地震から10日を過ぎたけど、その爪痕は深すぎて、まだ現在進行形だ。
私の中で、いろんな思いが渦巻いている。

亡くなった方、被災された方達のことを思うと胸がつぶれそう。
1人1人に人生があり、大切なモノを守り、明日を夢見て、いっしょうけんめい生きてきただろう。
それが急にいろんなモノをあっという間に奪われるという残酷さ。

私は中学生の時に母が交通事故で寝たきりになり、離婚していた父親の元に引越して転校しなければならず、母親との生活・住み慣れた家や町や大切な友達と遠く離れなくてはいけなかった。事故から1年4ヶ月後に母は他界した。
今思えば、私はその頃長い間、鬱症状に悩まされていた。
当時は「鬱」というようなことを全く知らず、「とてもつらい」としか思わなかった。
睡眠障害、過食、無気力、体調不良、集中力低下などいろんなことが起こった。
そういう記憶が蘇って、今、ダブルの悲しみを感じる。
でも、今回の地震で一度に複数の家族や友人を失った人も多いだろう。
そのような事態は想像を絶する。
今は「心のケア」チームというような人たちが被災地に派遣されているというニュースを見て、心理的に助けになる人がいることは素晴らしいと思う。
そう言う意味では隔世の感がある。
私が高校生の時にスクールカウンセラーなんて言葉もなかった。

また、今回の災害から思うこと。
とにかく被災した人数の規模が大きい。
津波の被害が想像を絶するものだった。
原発事故による放射線の心配。
停電による影響。
長期化している避難生活。またしても弱者が一番深刻な影響を受ける。

私は大阪に住んでいて、日常生活を送れているけど、もし自分だったらと想像するだけで思考停止に陥りかねない。あれやこれやが複合的にいっぺんに起こりすぎ。

だけど、現場で命懸けで、力の限り、支援・復興にあたっている人たちがいる。
そして、ネット上のブログやTwitterやFacebookというメディアで、現場の人たちの様子が見られたり伝えられたりするということの意味が大きいと思う。
もちろんテレビの映像でも。

また、自治体や企業などが日々取り組んでいる内容も直接入ってくる。
そして一般人からもアイデアや情報が投げかけられている。
この、リアルタイムで関わっていけるという利点は大きい。

この大災害で、私たちは、とても大切なことを学び直しているような気がする。
人と人がつながること。
つながりの輪が広がること。
言葉や音楽やアートで勇気をもらえること。
一方でデマやよろしくない口調の誹謗中傷がとびかって、それをいかに「流す」か、という心の訓練もしておかなくちゃいけないことが分かってきた。

とりあえずここまで、書けることは書いてみた。
そろそろ幼稚園に息子を迎えに行かなきゃ。
いろんな思いが渦巻く中も、日々、掃除・洗濯・食事の支度・子どもの世話。
バランスを取らなくちゃ。

追記: 「うつをこえて」ホームページのリンク

2011年3月15日 (火)

こんな時に

えらいことになっている。
金曜日の地震発生から丸4日、被害の実態が明らかになりつつ、原発の心配も去らず。

私の個人的なことを書く。
Twitter上で、この緊急時に有意義じゃない内容は控えよ的なムードが漂っていて、フォロワー少ない私でも考えてしまう。本来、個人的なつぶやきを書けるメディアなのになぁ。
ショックや悲しい気持ちを1人で閉じ込めていることが苦しくなるし、何か出来ないのだろうかという気持ちも起こりいろいろと考えもする。でも、被災した人の大変さを思えば、自分の気持ちの持って行きようは自分で何とかして、募金なりするべしと思い至る。
一方で、悲惨な状況もしっかり見つめて、今起きていることから私は、私たちは、何を学ぶのかという気持ちもある。ツライ気持ちが大きければ大きい程、必死にもがいて考えるはず。

命を失った人、今、命を脅かされている人がいる。
事故で母を亡くし、癌で姉を亡くした私は、その1人1人の命の重さに数字を見るだけで苦しくなる。
自分で意識して、情報と感情の間にフィルターを数枚置こうとしている。
昔から私は弱者や悲劇の人に感情移入しすぎる傾向があるのだ。
心が、「見つめること」と「流されないこと」のいいバランスの地点を見つけようとしている。

Twitterを始めて気がついたことについて、こんな時、やっぱり、と思う。
このメディアは私に向いている。だからハマる。
世の中にはTwitterもFacebookもPCを大して見ないひとだって、沢山いる。
でも、私にはそういうものが好きだし、向いている。
それは、文字を読むことを気持ちいいと思うという性質。「活字中毒」という言葉があたるのかな。
その対極になるのが、「難読症」と言うんだろうか、「1Q84」にも描かれていたが、知性に問題があるわけでもなく話すことも出来るのだが、「文字を読む」ことが困難な人がいる。
「活字中毒」と「難読症」の間にいろいろな段階があるだろうけど、私は相当「活字中毒」よりだと思う。
そして、それが私の強みでもある。
文字で書かれた情報を読むのが比較的早い。

本やネットを始め活字を読んで情報なりを得ることは世間では一般的に「良いこと」とされている。
世の中の仕事(特に事務仕事)は文字を読み理解することが求められる。
そうして生きてきて、語学で飯を食っていくことにもなり、年齢を重ねて、気がつくと
自分の弱さを、この強さで補おうとしている。自然なことなのだろう。
(弱さの中味はいずれ語れるかな・・・。)

とにかく、パソコンやインターネットが普及して、
阪神淡路大震災の時と違って、テレビや新聞以外から情報がすごい勢いで入ってくるし、
自分から主体的に調べることも可能だ。
それは純粋にありがたいことだと思う。

最後に、今回いろんな形でショックを受けている方に少しでも役立てないかと思い、私が家族を亡くして知った「グリーフワーク」を紹介しておきたい。
身近な人を亡くした際に、「悲しみのプロセス」がどういう経過をたどるか、ということである。
悲しみのあり方やどれだけの期間がかかるかなど、100人100様だと言われているが、人の精神状態がこのようなプロセスを経ていくのは自然なことだと知っているだけでも、違うのではと思う。私の場合はそうだった。
それから、人を亡くした場合だけでなく、自宅など大切なモノを失った場合でも同様のプロセスがあると私は思う。
詳細はリンクを参照していただきたい。

ショックの段階→ 怒りの段階 → 抑うつの段階 → 立ち直りの段階

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